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生体防御(広義の免疫)概説

  前々回、このブログで「ヘルスライフ」の木村さんの記事に触発されてオルトの創業時のことを書きましたが、創業時のビタミンB群開発の10年後から、ここ四半世紀の間、私たちは九州大生体防御医学研究所の野本亀久雄教授のご指導で、母子免疫の仕組みを食品に応用する研究を行ってきました。

 母乳は赤ちゃんの体を作るのに無くてはならない栄養素であるだけでなく、生体防御力が弱い赤ちゃんを菌やウイルスから守るワクチンでもあります。これを母子免疫といいます。

 この母子免疫の仕組みを理解するために、私たちは野本先生が世界で始めて提唱された「生体防御論」(広義の免疫論)を理解するよう努めてきました。
 

 以下、野本先生に教えられた広義の免疫の概略を要約します。

 「2018.06.22.pptx」をダウンロード

免疫とは一言でいえば、ハシカに一度罹ったら二度とは罹らない、ということです。しかしこのハシカの例は狭い意味での免疫(抗原抗体反応)で、免疫にはもう一回り広い意味の免疫があり、この広い意味での免疫は、一般に生体防御と言われます。

免疫ということが、私たちに分かっているようで分かりにくい、ときどき混乱を招くのは、この狭い意味での免疫と、広い意味での免疫(生体防御)とがしばしば混同して語られることが多いからです。私たちの生活上では、広い意味での免疫、生体防御のほうがはるかに身近なのですが、医師や学者の専門の立場からは狭い意味での免疫で語られることが多い。

広い意味での免疫は、まず第一防御ラインとして皮膚や喉・腸管の粘膜上で、菌やウイルスの体内への侵入を防ぐバリアです。中でも、腸管粘膜上のバリアが、最近大きな注目を集めています。腸管粘膜では、腸管内に分泌されて働く酵素や抗体のほかに、腸内常在細菌の在り方が免疫(生体防御)に深くかかわっています。
 風邪の場合でいえば、うがい手洗いで防ごうという段階です。
 
 そしてその第一のバリアを突破して体内へ侵入してきた菌やウイルスを、侵入された組織の局所にて迎え撃つ白血球たち(好中球、マクロファージ、NK細胞など)の働きが、第二の防御ラインです。菌やウイルスを食べて消化したり、破壊したりします。生物個体(貴方や私)に生まれつき備わっている防御力で、自然免疫とも言われます。
 局所への好中球の動員まで数時間、マクロファージの出動まで数日かかります。
 風邪の例でいえばくしゃみや鼻水、軽い咳や微熱の段階です。

最後に第二バリアでも防ぎきれなかった菌ヤヴィールスが、血中に入り体中に広がった段階で働き始めるバリアこそ、狭義の意味の免疫、高度に進化した仕組みによる免疫です。ヘルパーT細胞、キラーT細胞とか、B細胞と呼ばれる発達した免疫細胞が特定の菌やウイルスを認識したり、指令や情報を発したり、さらに記憶し、特異的に結合する抗体を作ったりして破壊します。菌やウイルスが一掃されると、レギュレーターT細胞が撤退を命じます。これらはまた、獲得免疫とも言われます。
 この高度に発達した免疫の抗原抗体反応が発動するまでは一週間ほどかかります。
 風邪やインフルの例でいえば高熱の出て完全にダウンの段階です。

今でこそ医学界のみならずサプリメントでも誰でも生体防御とか、腸管免疫ということを当たり前のように語っていますが、30-40年前はあまり当たり前ではなかった。それどころか、野本先生がこういうことを言い始めたころは、医学界、免疫学会から総スカンを食ったそうです。

野本のいう生体防御とか初期免疫というのは免疫ではない。免疫とはあくまで細胞内、せいぜい血清中で起こることなのだ」と。
 だから生体防御とか腸管免疫という考えの普及がここ30年に医学のみならずサプリメントの研究や開発に与えた影響の大きさは計り知れないものがります。

私たちも四半世紀余り野本先生とそのお弟子さんである吉開先生のご指導の下で、母子免疫の原理を食品に応用する研究を続けてきました。
  母乳は赤ちゃんの体を守る免疫の仕組みそのものであるだけでなく、赤ちゃんの体を作るプロテインでもあります。

 母乳が赤ちゃんの体を守り、体を作るプロテインなら、その同じ仕組みで大人のためのプロテインも作れないものか?
  i 'm Protein  「アイムプロテイン」は、私たちのそんな思いから開発され、今月25-27日お台場の国際展示場で開催された「スポルテック」にてデビューいたしました。 

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柴又の花火

 24日火曜日の夜、社員有志と、葛飾柴又の花火大会に行ってきました。

 花火の火の玉が落ちてくるのを見上げていると、逆にこちらが夜空に向かって吸い上げられていくような錯覚におちいりますね。

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 花火に先立ち、皆で柴又のゑびす屋のうな重を食べました。丁寧に蒸して、濃すぎないたれで、とても美味しかった。

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「ヘルスライフビジネス」紙のオルトの記事

 「ヘルスライフビジネス」紙(6月15日号・7月1日号)にオルトと私のことが載っています。

 記事は「ヘルスライフ」の創業オーナーで今も主幹をやっている木村忠明さんの連載「私の故旧 忘れ得ぬべき」の第101回、第102回です。
 記事よると、米国でベストセラーになったアール・ミンデル博士の「ビタミンバイブル」が翻訳され小学館から出版されたのをきっかけに、我が国にもビタミンブームが起こり、西武百貨店が池袋本店の地下に「バイタミンコーナー」をオープンしましたが、そのメインの棚に、「ビタミンバイブル」と一緒に、展示・発売されていたのが「ビオスバイタミンB」というオルトの商品で、これがその後の我が社の成功のきっかけになった、というものです。
 「ヘルスライフビジネス」のような業界紙とはいえ高名な新聞に取り上げられることは、本当に有難いありがたいことでありまして、それ以来色々なところからアクセスが増えているように思います。。
 木村さん、本当にありがとう。
 
 有難いからこそ、若干の間違いについては木村さんにもご連絡の上、、若干訂正いただくことにしました。
 
 その一つは、当時の朝日新聞社社長 渡辺誠毅さんのお名前のことです。
 記事では<正毅>となっていましたが、当然<誠毅>です。
 私が木村さんのところを初めてお尋ねしたのは、記事によると、誠毅さんの実弟 渡辺正雄先生のご紹介ということであります。その時渡辺先生は
 「兄貴の紹介だからよろしく。力になってやってくれ」と、おっしゃってくださったようです。
 渡辺誠毅さんとのご縁は、記事によれば、学生の時、劇団で演出をしていた私は、演出では食えないので、「週間大衆」の記者をやっていました。そのころ、たまたま朝日新聞社内の極左の起こした事件を取材し執筆した記事で(版元の会社の社長賞をもらいました)、当の渡辺誠毅さんからもお声がかかって、それ以来、家族ぐるみで可愛がっていただくようになっていました。記事は結構カラクチで、決して朝日をヨイショしたものではなかったのですが。
 スケールの大きな方だったのだと思います。
 
 次に二つ目は、私がサプリメントの世界に入るきっかけに関わることです。
 第102回の記事の下から三段目に
 「仕事が減ったころ、青山さんに地方自治体から高齢者に関係した企画書の依頼が舞い込むことになる」と、あります。
 私が地方自治体の広報の仕事をしていたことは事実ですが、それはサプリメントの仕事を始めるずっと前、オルトを創業するはるか以前のことです。
 私は週刊誌仲間と始めたばかりのJICC社(後の宝島社)で、記事や出版受託の営業の仕事をしていました。そこで呱々の産声を上げたばかりのJICC社が、離陸していくきっかけとなったのは間違いなく、自治体のの広報の受託であったと思います。ただしオルトではない。
 なお自治体の仕事も向こうから依頼が舞い込んできたというものではありません。どうやって食べていったらいいか、考えに考え詰めていたころ、ある年の正月の新聞の小さな記事から閃いたアイディアでした。
 
 三つ目に、同じ記事の下から二段目に
 「この頃(自治体の仕事をしていた頃、という意味なら間違い)、カルシュウムをまぶしたお米の事業と出会う。これが健康食品の事業に発展することになる」とあります。
 半分は本当ですが、ここはまさにオルトの創業に関わるところですから、もう少し正確を期したく。
 創業前からの私の友人の一人に、ジーンズにテンガロンハットが妙に似合う自称「発明家」がいました。その彼が持ち込んできた「カルシュウム米の発明」なるものが我が社の創業の切っ掛けでした。彼は、(当然私も)、この「発明」で一山当てるつもりだったが、残念ながら持ち込まれた私のほうの「力」不足で、私らはこの一連の「カルシュウムプロジェクト」からわずか数年後、少なからざる負債を負って敢え無く撤退することになります。
 しかしながらこの撤退の悪戦苦闘の中、81年我が社(と私自身)にとって、決定的な転機が訪れます。それが渡辺正雄先生との出会いでした。
 実兄の渡辺誠毅さんのご紹介で、年末千駄木の正雄先生の事務所を始めて訪問した時のことは一生忘れられません。
 その時正雄先生は、だれもが知るあの大きな目で、瞬きもせず初対面の私の眼の中をじーっと覗き込み、(まるで「デミアン」ではないか)、一言
 「心を入れ替えて取り組まないとだめだよ、健康の仕事は」と、おっしゃいました。
 今40年近くたって、あの時先生が「心を入れ替えて」とおっしゃった意味が少しはわかる、と思います。
 あの時先生は
 「人の健康にかかわる仕事は単に一山当てようという浮ついた考えでやったらだめだよ」とおっしゃったのだ。
 
 「ヘルスライフビジネス」の記事に木村さんが書いてくれていた、その後のオルトの成功の切っ掛けになったという「ビオスバイタミンB」などの一連の開発は、この渡辺先生のご指導で翌年から翌々年にかけて行われることになります。
 木村さん、本当にありがとう。

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