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S社新社長・新専務就任記念パーティ

 S社の新社長・新専務就任記念の祝宴にお招きがあり行ってきました。

 祝宴はパレスホテルの4階の大広間に200人を越える招待者を集めた盛大のものでした。
 祝宴に先立ちまず新社長の父上、N会長の挨拶から始まりました。
 N会長は、生涯自分は本当に幸せだと思ったことが二つある。一つは10代のとき、将来(起業して)社長になろうと決意してそのとおり25歳で企業し、成功したこと。もう一つは同じころ生命尊重の平和思想であるSGCに出会って今日まできたこと、だとお話をされた。
 次に、新社長が挨拶をされ、創業者の偉業を受け継ぎ、特にお客様と社員とお取引先を大事にせよという教えをしっかり受け継いで行きたい、そのうえで新規事業を展開して行きたい、と力強くお話をされた。

 私も来賓の一人として挨拶を求められた。
 S社のN会長と私は、新社長がお生まれになった年 1982年以来30年余りのお付き合いである。
 新社長が小学校に上がられたころ1988年から1989年にかけて、会長から当社のその後の運命を、いや大きくいえば我が国のサプリメントのその後の歴史を変える画期的な新商品の開発を依頼されることになる。
 すなわちMDの開発である。MDは会長がその時直感されたように全く新しいカテゴリーのサプリメントだった。

 MDはその後カテゴリートップの座を維持した2006年までの17年間で延べ2000万個あまり、市場価格3000万円を売上げた大ヒット商品で、特にピーク時の2004年には年間400万個、500億円を売り上げ、この記録は国内のサプリメントの単品の売上げでは破られたことが無い。
 17年間で3000億円という市場も社員一人当りの生産性で見れば、20万~30万人を雇用するトヨタ自動車に匹敵し、2000万個という数は成人女性二人に一個に当たる。つまり成人女性10人に一人、大雑把に言って500万人の方がユーザーでいらっしゃったことになる。この方々が健康で美しくなられたことによるわが国の経済的・社会的・文化的な波及効果も計り知れないものだ。

 新社長が中学校に進学されたころ、私どもはユニバイトの(故)志賀さん、ガウスの(故)油谷さんとほぼ毎月長野のSH社の本社に会長をお訪ねして、MDの事業を如何に成長・発展させていくか、喧々諤々の議論に加わるらさせていただいていた。
 そのころ長野市は長野オリンピックの直前で活気に満ちていた。
 海外からの来訪者と接触する機会も多く、新社長はそうしたことを切っ掛けにロンドンの高校へ、また後にボストンの大学への進学と大きく飛躍していく決意を固められたとおっしゃっていいる。

 ボストンに留学中、確か国際関係論(平和学)を専攻されていたご長男について、会長から「あれは何故か俺に似ないで勉強好き、学問好きだから、学者にでもしようと思っているんだ」とちょっと面栄えげに、しかしちょっと誇らしげにおっしゃるのを聞いたことを覚えている。
 しかしそんな新社長のコースががらりと変わる大事件が起こる。
 ボストン卒業の直前2004年、スノボーの事故による大怪我から始まって足掛け7年にもわたった会長の一連の大病だ。

 とりわけ2006年、がんの手術後の癒着の後遺症が原因と思われる激痛は、昼夜を問わず、ついそこにあるものを取ることもできない、疲れ果てて夜寝ていると激痛で目が覚め、激痛のため寝返りを打つことさえ出来ない、という凄惨なものだった。
 明石町のお宅を何度もお訪ねしてよく覚えているのは、会長が地獄の苦しみにあったとき、傍らでその苦しみを共にされつつ、気丈ながらさすがに憔悴されていた奥様さまの姿だ。
 こんな日々、新社長は、自分こそお父様を助けなければならないのだ、自分こそお父様のお役に立つことをしなければならない、とひそかに硬い決心をされたのではないか。

 会長は結局日本国内では治療の方法が見つからず、2008年、奥様と共にアメリカに渡り以来3年余り幾つかの専門病院への入退院を繰り返し、困難な治療法を捜し求められた。
 新社長は同じ2008年S社に入社し、研究秘書のS先生と一緒に渡米し3年間、語学力を生かして専門医師との折衝、入退院の申し込み、各種手続きなど付きっ切りで会長の治療に尽力し、専念された。

 大震災の年の年末、会長は新社長らの尽力と治療の甲斐あってか、あの不治と思われた激痛から奇跡的に、劇的に回復され帰日されたが、7年にも渡る地獄の体験は決して無駄ではなかったと思われる。経営者として一回りも二回りも大きくなられた上、事業上の読みも決断の早さも冴え渡っていらっしゃったからである。そのことは2012年いち早く参入を決断されたソーラー事業の成功を見ても明らかなことである。
 そしてこういう新規事業のを常に父上の傍らで、時として父上に代わって、自ら携わり自ら作り上げてきたのが新社長であることは内外よく知られたことである。
 こうして名実共に備わった新社長・新専務の披露となったことはめでたいことです。

 役不足の私の後には、本当の来賓である順天堂医大教授 白澤卓二先生と、日本経営合理化協会経営研究所長 熊谷聖一さんの挨拶が続きました。 

 白澤先生はフォーミュラ食としてのMDの可能性について触れ、MDが何故かくも長い間支持されてきているかアンチエイジング医学の立場からお話をされました。 

 熊谷先生は、N会長と5年前このパレスホテルで始めてお会いしてソーラー事業についてレクチャしたこと、仕事柄3000人からの経営者に会っているがその中でも際立って異色の経営者だったこと、しかし本当に驚嘆したのは会長の事業上の決断と実行のスピードだったこと、初めてお会いしてわずか数ヶ月後、二回目にお会いしたときには、「ああ、もう始めましたよ、200億円投資してます」というお話だったことなどについてお話された。
 熊谷さんはまた、S社はソーラー事業の前にも航空機リース事業で独立資本系としては国内トップの座を占めていることでよく知られていたことをお話され、N会長が業種が違えソフトバンクの孫さん、ユニクロの柳井さんに匹敵する起業家であるとおっしゃった。
 新社長は、こういう航空機やソーラーなどの新規事業ですでに力を発揮しているし、新専務はサプリメントの新しいマーケティングに取り組んでいるが、今後兄弟力を合わせて、さらに三男の末弟を加えてS社をさらに成長させていくだろう、というお話でした。
 最後に熊谷さんは、S社の企業理念七か条の六か条目 「お客様のご意見は、会社をよくするヒントになり深く感謝します」について触れて、これをちゃんと守っていけば必ず発展する、お客様ばかりでなく社員の意見にも感謝する会社にしていけば、と締めくくられた。
 

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