大震災後ズービン・メータが再来日チャリティコンサート 台湾から110億円にも上る義捐金 一部原発作業員への使途指定
大震災から一ヶ月、遅れていた桜も、ようやく各地で開花が始まって、少しづつ例年には及ばずとも賑わいを取り戻しつつあるこのころです。 東京でも、計画停電や間引き運転で、これを機会に少しでも被災地を思いやろうということもあってか、家庭でも職場でも節電がすっかり定着しつつあります。街頭でも店内でも夜、つい一ヶ月前まで煌々と輝いていた街の灯が、大晦日の夜のようにライトダウンされ、何か落ち着きのようなものを感じさせるほどです。
前回のこのブログでも触れた日本公演を急遽中止して帰国したフィレンツエ歌劇場を振るはずだった指揮者のズービン・メータが、単身再来日して、4月9日、N響とベートーベンの「第9」などを、被災者支援のため全額チャリティコンサートとして演奏するそうです。
メータは、震災と原発事故の三日後、インタビュー予約していた日経新聞の池田編集委員を、「実際の現場を見てもらったほうがわかりやすい」と、帰国を翌日に控えてごった返す劇場関係者のホテルへ連れて行って、そこでインタビューを受けたそうです。 ホテルに着くと、汚染への恐怖のためパニクっている関係者らがいっせいにメータを取り囲み、口々に様々なことを訴えかけて、ほとんど収拾がつかない有様になりました。 それをメータは押しとどめ、一人一人言い分を聞いてやり、的確な指示や助言を与えて、混乱を沈めていったのだそうです。 巨匠、イタリア語でマエストロというのは、単に音楽解釈においてとか、指揮棒の振り方が上手い下手とかいうのではなくて、百人単位の演奏家たちを束ねる、器の大きさのことを言うんだ、と池田さんは書いています。
メータは、このインタビュー記事のなかで、91年の湾岸戦争のとき、ニューヨークフィルとの日程をすべてキャンセルして現地に飛び、日中なら照明なしでも演奏できるだろうと、イスラエルフィルと連日、無料演奏会して回った。演奏者も聴衆も全員一丸となって、精神を飛翔させ、多くの人々を励ますことが出来た、と危機的状況における音楽の力について、話しています。 成田への外国人が激減する中で、再来日したメータは、「先月の公演中止は、無念でならなかった。だからこそ、日本へ来て、日本の人たちを勇気付け、被災した方々を助ける演奏ができることをとても感謝している」と語っています。
昨年、新ターミナルが出来て大人気となった羽田の国際線も残念ながら成田同様ガラガラです。そんな折にもかかわらず、来日頂ける方もいらっしゃいます。感謝いたします。 台湾では、大震災後わずか一週間で、世界に先駆け、馬英九総統夫妻やジュディ・オングさんの出演する「日本を助けよう」のチャリティー番組を放映し、四時間半で7億8千万元(21億円)もの義捐金を集めていただけたといいます。この義捐金の額はその後も増え続け、長栄グループの長栄発総裁が個人で10億円を寄付するなど、すでに合計110億円を突破したそうです。 アメリカ赤十字社が先月末発表した義捐金が1億2千万ドル(約100億円)という巨額なものですが、台湾は人口がアメリカの10分の1以下で、アメリカ以上の義捐金を短期間で集めていただいたことは本当に有難いことです。 、こういう台湾のことをわが国のマスコミはどうして余り取り上げないのでしょうか。
しかし、その110億円にも上る台湾の義捐金が、たぶん受け入れ側の日本の事情によってでしょう、とりあえず20億円しか日本に送れない、ということが明らかになって台湾側では、善意が充分に生かされないのではないかという危惧が一時浮かび上がって騒然となったようです。 また、この台湾の義捐金の一部、数億円は、事故原発の復旧の現場で、命がけで働いている現場の作業員に使途を指定して送られたそうですが、さすがに台湾の人たちは、とても適切な判断をしているものだと感心しました。 たしかに、いま世界経済の視点から、最も大切なことの一つは、原発の冷却能を一日も早く復旧し、風評も含めての放射能汚染の恐怖を一刻も早く静めることだからです。
広島、長崎を経験している私たちであればこそ、核の恐怖は、それによる直接の被害だけでなく、その後何年にもわたって続いた風評による差別によっても増幅されてきた、ということを忘れてはいません。
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